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ポトマック族を訪問中

1612年、ポカホンタスはポトマック族を訪問中、イギリス船に誘い出されて抑留された。イギリス側は彼女を人質として、捕虜となっていたイギリス人の解放、奪われた武器の引き渡し、トウモロコシによる多額の賠償の支払いを要求した。パウハタン側が数ヶ月回答を留保している間、イギリスに強い関心を抱いていたポカホンタスは入植地で宣教師の教育を受け、英語を習得し、洗礼を受けた。1614年、ポカホンタスはジョン・ロルフの求婚に応じ、名を「レベッカ・ロルフ」と変えた。結婚式には彼女の親族も何人か出席した。パウハタンも2人の結婚を認め、儀礼用の鹿革の衣服を贈って祝福した。これが契機となり、入植者とパウハタン王国との友好関係が成立した。

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ヴァージニア植民地の出資者たちは、ジェームズタウンにイングランド本国からこれ以上新しい入植者を募るのも、このような冒険的な事業に対する投資家を探すのも困難になったことを悟った。そこでポカホンタスをマーケティングのエサにして、新世界の原住民が文明に馴らされたため、もはや植民地は安全になったとヨーロッパの住人を納得させようとした。1616年、ポカホンタスはロルフとともにイングランドに連れられ、ジェームズ1世とその家臣たちに謁見した。彼女はそこで「インディアンの姫」と紹介され、イングランドにセンセーションを巻き起こし、新世界アメリカの最初の国際的有名人となった。そうして、より多くの投資と王の関心をヴァージニア植民地にもたらす試みは大成功に終わった。

しかしながら、バージニアの空気の中で育った彼女にとってロンドンの空気は汚れすぎていて、肺を侵された。ロルフは彼女の健康回復のためバージニアに帰ろうとしたが、病状は急速に悪化し、1617年3月に死去した。(死因は天然痘、肺炎、または結核など、資料により異なる。)

ポカホンタスの死を知らされたパウハタンもまた元気を失い、支配者の地位を弟オペチャンカナウに譲った。そして1618年に死去した。オペチャンカナウは入植者に対し、パウハタン族が住んでいない地域への入植を認めるなど、植民地側に好意を示し、また他の先住民族に対する軍事的共同作戦を提議したこともあった。オペチャンカナウはまた、先住民族に対するキリスト教の布教にも協力的な態度をとった。

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2009年04月30日 11:43に投稿されたエントリーのページです。

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