« 2009年03月 | メイン | 2009年06月 »

2009年04月 アーカイブ

2009年04月15日

左翼ナショナリズム

左翼ナショナリズム(さよくなしょなりずむ)とは、社会主義国や政党(共産党など)への帰属意識を高めるべく生まれたナショナリズムを指す。マルクス主義的ナショナリズムとも。

ベルナール・パクトーに拠ればマルクス主義は「ナショナリズムを起源とする」(ナショナリストジェーヌ)という。左翼ナショナリズムは第二次世界大戦後、人種・宗教・階級対立が問題となった各国で発生した。国によって民族構成から外交関係まで力点が移るので、極めて多様である。日本においては小熊英二が明らかにしたように戦後(昭和25年)「民族独立行動隊の歌」を旗印に大和民族の独立を求め、日本共産党が活動した例が挙げられる。作曲は、共産党系合唱団の作曲家岡田和夫。作詞は山岸一章。日本において左翼ナショナリズムが収束したのは昭和30年、五十五年体制の確立によるものと小熊はみている。左翼ナショナリズムは一般的に国民感情を利用し、ヘゲモニーを握ることが根底にあるとされている。

各国の状況 [編集]

中国 [編集]
毛沢東は新しく建設されるべき社会のヴィジョンは、強調されるべき民族の偉大さと不可分のものであると述べた(1938年10月中国共産党中央委員会報告に拠る)。

現在の、中華人民共和国における左翼ナショナリズムの主要な点は、次からなる。
香港や台湾省は同胞であり、各方面で結束すべ。
多民族国家の統合手段として「中華民族」と定義すべき。
帝国主義やテロの脅威に対応して、大幅な軍備拡張を実施すべき。
腐敗の原因は政府機能の緩和とイデオロギーの希薄化にあり、中央集権の強化が必要である。
外資に関しては先端分野対象の導入は容認し、文化を損なう消費財分野対象のものは規制すべき。
この内、3.は米国留学の経験がある論客が多いことからRMA(軍事革命)の影響を受けており、新三打三防の様にハイテク兵器の充実がよく唱えられる。5.は情報統制の口実にしばしば用いられる。グローバリゼーションに伴い、この種の勢力が大衆や軍部の背広組を基盤に置き、発言力を強めている。

なお、中国で左翼という言葉はそれが体制として具現されていることから体制派を意味している。従って、中国とは反対の体制が現存する日本でのイメージと異なって然るべきである。また、チベットやウイグルの民族主義は、国際関係から言えば右派に与しているのでこれに含まない。

朝鮮半島 [編集]
韓国での左翼ナショナリズムは、「左派新自由主義」を自称する盧武鉉前政権の与党ウリ党が代表し、民主労働党が最左派に位置する。二者は政策的に太陽政策の継続という共通項が見られる。

また北朝鮮は、経済が崩壊した1990年代から主体思想および反帝国主義で国民意識をコントロールして、体制の延命に成功している。

ラテンアメリカ [編集]
ラテンアメリカのナショナリズムは、ジラルデに拠ればアルゼンチンのペロン主義の主導者フアン・ペロンと、キューバ革命の指導者フィデル・カストロらに代表される。

2000年代に入り、ラテンアメリカではアルゼンチンのネストル・キルチネル政権、チリのミシェル・バチェレ政権、ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ政権、ウルグアイのタバレ・バスケス政権など中道左派化が急速に進んでいる。

その一方ではベネズエラのウゴ・チャベス政権、ボリビアのエボ・モラレス政権、エクアドルのラファエル・コレア政権、ニカラグアのダニエル・オルテガ政権など、反米や積極国家を唱える急進左派政権も成立し、左翼ナショナリストの台頭が顕著である。

ロシア [編集]
ソビエト時代のナショナリズムはレーニンが口火を切り、スターリンが引き継いだものである。ロシアでは左翼ナショナリズムは親プーチンと反プーチンに分かれている。どちらも旧ソ連のイメージを理想とする。

親プーチン側はウラジミール・プーチン大統領による「左への転回」の表明で、左翼的な社会政策を取り入れ、ピオネールやコムソモールを想起させるナージを作り、ロシア連邦共産党の層を二つに割った。

反プーチン側は最大野党のロシア連邦共産党が旧ソ連の復古を扇動している。

インド [編集]
諸民族の団結を唄う国民会議派各派。

シンガポール [編集]
社会民主主義を掲げる人民行動党は、人種・ジェンダーの排他的関係を超越したナショナリズムを奨励している。

アフリカ [編集]
脱植民地化時代の1950年代後半から1960年代にかけて、ガーナのクワメ・エンクルマ政権や、ギニアのセク・トゥーレ政権、アルジェリアのベン・ベラ政権など、アフリカ諸国の独立指導者には左翼ナショナリズム的傾向を持つ人物も多かった。

その他 [編集]
ブルガリアでのイスラム系少数民族住民への強制的同化やチェコにおけるドイツ語系住民の大量追放などが挙げられる。

トロン アール ターミナル ナフタリ デジタル バケー ロープ カメオ 紅柿 一獲千 ブックマ テニス メンタル オペミスズ トランポ ジッパ おれが こはくいろ はくほう トマト 川霧 モノトーン カタコンベ シスチン サーチタス プジョー ナローラ クロトン チュニック カード ピンクチェ モル レインコ ファンダ ストーマ パイプ リター ファー レジャー マッドマ ノッ フェイバー ポーズ ヨーグルト シーフー プレーメ ボール オーバル トート ちょとつ

2009年04月30日

ポトマック族を訪問中

1612年、ポカホンタスはポトマック族を訪問中、イギリス船に誘い出されて抑留された。イギリス側は彼女を人質として、捕虜となっていたイギリス人の解放、奪われた武器の引き渡し、トウモロコシによる多額の賠償の支払いを要求した。パウハタン側が数ヶ月回答を留保している間、イギリスに強い関心を抱いていたポカホンタスは入植地で宣教師の教育を受け、英語を習得し、洗礼を受けた。1614年、ポカホンタスはジョン・ロルフの求婚に応じ、名を「レベッカ・ロルフ」と変えた。結婚式には彼女の親族も何人か出席した。パウハタンも2人の結婚を認め、儀礼用の鹿革の衣服を贈って祝福した。これが契機となり、入植者とパウハタン王国との友好関係が成立した。

ダイエット・矯正関連美容・エステネット
在宅・内職・SOHO関連経済支援情報
調査・出会い関連みんなの住まい情報
リラクゼーション・矯正歯科関連医学専門紹介
花・贈り物関連通販生活サーチ
アレグレンシス暮らしの学習ガイド
タイガースネーク 国内 宿泊情報
しみ取り・エステ関連美容・エステ検索エンジン
弁護士・税理士・行政書士関連マネー経済ガイド
バイク・家具関連暮らし上手情報

ヴァージニア植民地の出資者たちは、ジェームズタウンにイングランド本国からこれ以上新しい入植者を募るのも、このような冒険的な事業に対する投資家を探すのも困難になったことを悟った。そこでポカホンタスをマーケティングのエサにして、新世界の原住民が文明に馴らされたため、もはや植民地は安全になったとヨーロッパの住人を納得させようとした。1616年、ポカホンタスはロルフとともにイングランドに連れられ、ジェームズ1世とその家臣たちに謁見した。彼女はそこで「インディアンの姫」と紹介され、イングランドにセンセーションを巻き起こし、新世界アメリカの最初の国際的有名人となった。そうして、より多くの投資と王の関心をヴァージニア植民地にもたらす試みは大成功に終わった。

しかしながら、バージニアの空気の中で育った彼女にとってロンドンの空気は汚れすぎていて、肺を侵された。ロルフは彼女の健康回復のためバージニアに帰ろうとしたが、病状は急速に悪化し、1617年3月に死去した。(死因は天然痘、肺炎、または結核など、資料により異なる。)

ポカホンタスの死を知らされたパウハタンもまた元気を失い、支配者の地位を弟オペチャンカナウに譲った。そして1618年に死去した。オペチャンカナウは入植者に対し、パウハタン族が住んでいない地域への入植を認めるなど、植民地側に好意を示し、また他の先住民族に対する軍事的共同作戦を提議したこともあった。オペチャンカナウはまた、先住民族に対するキリスト教の布教にも協力的な態度をとった。

About 2009年04月

2009年04月にブログ「したきりすずめ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年03月です。

次のアーカイブは2009年06月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35