2009年06月21日

天気予報(てんきよほう)とは

天気予報(てんきよほう)とは、過去の天気や各地の現況の天気・気圧・風向・風速・気温・湿度など大気の状態に関する情報を収集し、これをもとに、特定の地域あるいは広範囲な領域に対し、当日から数ヶ月後に及ぶ天気・風・気温などの大気の状態と、それに関連する水域や地面の状態を予測し伝えるための、科学技術のことである。最近は、テレビ等で気象情報という場合があるが、厳密には、気象情報は気象実況情報に天気予報を加味したものであるが、天気予報とほぼ同義に用いられることが多い。

気象庁が発表する一般向けの予報の種類には、あらかじめ決められた予報区ごとの気象状態を予報するものと、地図上を一定の大きさの升目に区切った格子ごとの気象状態を予報するものとがある。
ライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
ダーツ
ビタミン
近代オリンピック
カロリー
ホームシアター
脳神経外科
ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
日サロ体験

前者の例としては、

短期予報(今日・明日・明後日の予報)
週間予報(明後日から1週間先まで)
季節予報(1ヶ月予報・3ヶ月予報・暖候期予報・寒候期予報)
地域時系列予報(主要都市について、3時間ごとに24時間先まで予報)
があり、後者の例としては、地方天気分布予報がある。

予報区の種類には、「全般」(日本全国)・「地方」(全国で11)・「府県」(東京都を含む、北海道は2?3の支庁ごとに細分)などがあり、どの予報区について予報を発表するかは、予報の種類によって異なっている。

予報には、天気の予報の他、最高・最低気温、降水確率の予報も含まれる。

短期予報と地域時系列予報は5時、11時、17時の3回発表している。週間予報は11時、17時の2回発表している。

2009年06月03日

新卒一括採用

新卒一括採用(しんそついっかつさいよう)とは、企業が学校を卒業した者(新卒者)を対象に、その時点でのみ一括して労働者として採用し、雇用する制度である。

新卒一括採用には功罪両面がある。

問題点

昨今では新卒一括採用制度が色々な社会問題を生んでいる。新卒時に、就職できないと一生やり直しが効かない事も多くあり、人材の使い捨てだという指摘がある。法政大学大学院政策科学専攻教授の小峰隆夫は、「少なくとも採用面での新卒主義は改めるべきだ。たまたま卒業時に景気が悪ければ就職できないという不平等があり、その時点ではじき出された年齢層がそのまま社会で滞留してしまう」と述べる。 学習院大学法学部教授の数土直紀は、新卒一括採用が終身雇用とセットになると閉鎖的な労働市場を生み、そのため再就職が困難な社会になるため、理由なき服従を産み出す結果になっていると指摘する。また東京大学教授で社会学者の本田由紀は、新卒一括採用から学習成果と職務内容との適合性を重視して、卒業後に採用選抜を行う方式へと変わるべきだと主張している。内閣府のホームページの国民生活白書には現在の新卒者の採用制度についての問題点が挙げられている。
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上に挙げられた問題以外にも、新卒一括採用制度は多様な問題を有している。氷河世代と呼ばれる世代には、新卒時に就職出来なくて、そのままずっとやり直しが出来ずに、フリーターなどの不安定な仕事に就かざるを得ない者が多くいる。OECDの報告によると、2007年の日本における15?24歳の長期失業率は21.3%と、OECD平均の19.6%を上回った。5年前に比べやや改善したものの、依然として10年前の18.2%を上回っており、若者は定職確保が困難になっていると感じていると分析する。報告は、日本の派遣労働について低い収入、低い社会保障水準で技能・キャリア開発の可能性もほとんどないと厳しく指摘し、若者を助けるために、日本にはもっとできることがあるのではないかと強調する。

また就職活動の早期化が顕著になり、学生の大学での勉強が疎かになってしまう弊害が生じている。内定を出す時期が早いため、企業の業績の悪化などが原因で内定取り消しという事態が、全国で数多く起こっている。

脳内科学者である東京工業大学大学院連携教授、茂木健一郎のクオリア日記には、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)工学部中村修二教授、東京工業大学伊賀健一学長との東京工業大学大岡山キャンパスでのシンポジウムが以下のように記述されている。

たとえば、大学3年の今頃から就職活動を一斉にして、それを何の疑問に持たない。 中村修二さんは明快である。 「そんなもん、年齢や経歴による就職差別だから、訴訟すればいい」 まったくその通りで、企業が何の合理的な根拠もなく、いわゆる「新卒者」だけに 就職を限っているのは、アメリカ的な感覚で言えばただちに訴訟の対象となり、 そして企業は負けるのだろう。 何よりも、本当に優秀な人材を採用するという企業努力を怠っていることになる。 (以下略)

やり直しが利かない社会を生むので、秋葉原通り魔事件で見られるような社会に対して恨みを抱く者が現れるなど多様な問題が生じ、時代に合わなくなってきた感がある。既卒者には職業訓練が提供されず、転職者と同様の扱いになってしまうので、既卒者も十分な職業訓練が受けられるような制度の構築が望まれる。

利点

2006年の内閣府の調査によると新卒一括採用する上位2つの理由は、「社員の年齢構成を維持する」「他社の風習に染まっていない人材確保」であった。企業側としては、新卒一括採用により愛社精神と忠誠心を植えつけることができるため、ジョブホッピングのリスクを回避することのできる有用な手段であり、儒教の影響により上下関係の意識の強い日本の産業構造かつ社会構造に適合したシステムとして重宝される。また、採用された新卒者とっても、新卒一括採用というシステムで採用されることによって年功序列と終身雇用の道が開け、それで得られるしっかりとした社会的信用によって住宅ローンを組む際の審査が通りやすいなど将来の人生設計が確実に立てられるようになるため、生活のすべてにおいて圧倒的に有利となる。

2009年04月30日

ポトマック族を訪問中

1612年、ポカホンタスはポトマック族を訪問中、イギリス船に誘い出されて抑留された。イギリス側は彼女を人質として、捕虜となっていたイギリス人の解放、奪われた武器の引き渡し、トウモロコシによる多額の賠償の支払いを要求した。パウハタン側が数ヶ月回答を留保している間、イギリスに強い関心を抱いていたポカホンタスは入植地で宣教師の教育を受け、英語を習得し、洗礼を受けた。1614年、ポカホンタスはジョン・ロルフの求婚に応じ、名を「レベッカ・ロルフ」と変えた。結婚式には彼女の親族も何人か出席した。パウハタンも2人の結婚を認め、儀礼用の鹿革の衣服を贈って祝福した。これが契機となり、入植者とパウハタン王国との友好関係が成立した。

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ヴァージニア植民地の出資者たちは、ジェームズタウンにイングランド本国からこれ以上新しい入植者を募るのも、このような冒険的な事業に対する投資家を探すのも困難になったことを悟った。そこでポカホンタスをマーケティングのエサにして、新世界の原住民が文明に馴らされたため、もはや植民地は安全になったとヨーロッパの住人を納得させようとした。1616年、ポカホンタスはロルフとともにイングランドに連れられ、ジェームズ1世とその家臣たちに謁見した。彼女はそこで「インディアンの姫」と紹介され、イングランドにセンセーションを巻き起こし、新世界アメリカの最初の国際的有名人となった。そうして、より多くの投資と王の関心をヴァージニア植民地にもたらす試みは大成功に終わった。

しかしながら、バージニアの空気の中で育った彼女にとってロンドンの空気は汚れすぎていて、肺を侵された。ロルフは彼女の健康回復のためバージニアに帰ろうとしたが、病状は急速に悪化し、1617年3月に死去した。(死因は天然痘、肺炎、または結核など、資料により異なる。)

ポカホンタスの死を知らされたパウハタンもまた元気を失い、支配者の地位を弟オペチャンカナウに譲った。そして1618年に死去した。オペチャンカナウは入植者に対し、パウハタン族が住んでいない地域への入植を認めるなど、植民地側に好意を示し、また他の先住民族に対する軍事的共同作戦を提議したこともあった。オペチャンカナウはまた、先住民族に対するキリスト教の布教にも協力的な態度をとった。

2009年04月15日

左翼ナショナリズム

左翼ナショナリズム(さよくなしょなりずむ)とは、社会主義国や政党(共産党など)への帰属意識を高めるべく生まれたナショナリズムを指す。マルクス主義的ナショナリズムとも。

ベルナール・パクトーに拠ればマルクス主義は「ナショナリズムを起源とする」(ナショナリストジェーヌ)という。左翼ナショナリズムは第二次世界大戦後、人種・宗教・階級対立が問題となった各国で発生した。国によって民族構成から外交関係まで力点が移るので、極めて多様である。日本においては小熊英二が明らかにしたように戦後(昭和25年)「民族独立行動隊の歌」を旗印に大和民族の独立を求め、日本共産党が活動した例が挙げられる。作曲は、共産党系合唱団の作曲家岡田和夫。作詞は山岸一章。日本において左翼ナショナリズムが収束したのは昭和30年、五十五年体制の確立によるものと小熊はみている。左翼ナショナリズムは一般的に国民感情を利用し、ヘゲモニーを握ることが根底にあるとされている。

各国の状況 [編集]

中国 [編集]
毛沢東は新しく建設されるべき社会のヴィジョンは、強調されるべき民族の偉大さと不可分のものであると述べた(1938年10月中国共産党中央委員会報告に拠る)。

現在の、中華人民共和国における左翼ナショナリズムの主要な点は、次からなる。
香港や台湾省は同胞であり、各方面で結束すべ。
多民族国家の統合手段として「中華民族」と定義すべき。
帝国主義やテロの脅威に対応して、大幅な軍備拡張を実施すべき。
腐敗の原因は政府機能の緩和とイデオロギーの希薄化にあり、中央集権の強化が必要である。
外資に関しては先端分野対象の導入は容認し、文化を損なう消費財分野対象のものは規制すべき。
この内、3.は米国留学の経験がある論客が多いことからRMA(軍事革命)の影響を受けており、新三打三防の様にハイテク兵器の充実がよく唱えられる。5.は情報統制の口実にしばしば用いられる。グローバリゼーションに伴い、この種の勢力が大衆や軍部の背広組を基盤に置き、発言力を強めている。

なお、中国で左翼という言葉はそれが体制として具現されていることから体制派を意味している。従って、中国とは反対の体制が現存する日本でのイメージと異なって然るべきである。また、チベットやウイグルの民族主義は、国際関係から言えば右派に与しているのでこれに含まない。

朝鮮半島 [編集]
韓国での左翼ナショナリズムは、「左派新自由主義」を自称する盧武鉉前政権の与党ウリ党が代表し、民主労働党が最左派に位置する。二者は政策的に太陽政策の継続という共通項が見られる。

また北朝鮮は、経済が崩壊した1990年代から主体思想および反帝国主義で国民意識をコントロールして、体制の延命に成功している。

ラテンアメリカ [編集]
ラテンアメリカのナショナリズムは、ジラルデに拠ればアルゼンチンのペロン主義の主導者フアン・ペロンと、キューバ革命の指導者フィデル・カストロらに代表される。

2000年代に入り、ラテンアメリカではアルゼンチンのネストル・キルチネル政権、チリのミシェル・バチェレ政権、ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ政権、ウルグアイのタバレ・バスケス政権など中道左派化が急速に進んでいる。

その一方ではベネズエラのウゴ・チャベス政権、ボリビアのエボ・モラレス政権、エクアドルのラファエル・コレア政権、ニカラグアのダニエル・オルテガ政権など、反米や積極国家を唱える急進左派政権も成立し、左翼ナショナリストの台頭が顕著である。

ロシア [編集]
ソビエト時代のナショナリズムはレーニンが口火を切り、スターリンが引き継いだものである。ロシアでは左翼ナショナリズムは親プーチンと反プーチンに分かれている。どちらも旧ソ連のイメージを理想とする。

親プーチン側はウラジミール・プーチン大統領による「左への転回」の表明で、左翼的な社会政策を取り入れ、ピオネールやコムソモールを想起させるナージを作り、ロシア連邦共産党の層を二つに割った。

反プーチン側は最大野党のロシア連邦共産党が旧ソ連の復古を扇動している。

インド [編集]
諸民族の団結を唄う国民会議派各派。

シンガポール [編集]
社会民主主義を掲げる人民行動党は、人種・ジェンダーの排他的関係を超越したナショナリズムを奨励している。

アフリカ [編集]
脱植民地化時代の1950年代後半から1960年代にかけて、ガーナのクワメ・エンクルマ政権や、ギニアのセク・トゥーレ政権、アルジェリアのベン・ベラ政権など、アフリカ諸国の独立指導者には左翼ナショナリズム的傾向を持つ人物も多かった。

その他 [編集]
ブルガリアでのイスラム系少数民族住民への強制的同化やチェコにおけるドイツ語系住民の大量追放などが挙げられる。

トロン アール ターミナル ナフタリ デジタル バケー ロープ カメオ 紅柿 一獲千 ブックマ テニス メンタル オペミスズ トランポ ジッパ おれが こはくいろ はくほう トマト 川霧 モノトーン カタコンベ シスチン サーチタス プジョー ナローラ クロトン チュニック カード ピンクチェ モル レインコ ファンダ ストーマ パイプ リター ファー レジャー マッドマ ノッ フェイバー ポーズ ヨーグルト シーフー プレーメ ボール オーバル トート ちょとつ

2009年03月31日

白鵬翔

白鵬 翔(はくほう しょう、男性、1985年3月11日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で宮城野部屋所属の現役大相撲力士、第69代横綱。本名は М?нхбатын Даваажаргал(Mönkhbatyn Davaajargal;ムンフバト・ダヴァジャルガル、Davaajargalは月曜日の幸福という意味。生まれた1985年3月11日は月曜日である。)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。身長192cm、体重154kg(日本相撲協会公式発表による)。好物は焼肉、嫌いなものはあんパン(餡が苦手)、趣味は読書、チェス、テレビゲーム。愛称は「ダヴァ」、血液型はA型。

父ジグジドゥ・ムンフバトはブフ(モンゴル相撲)で、5年連続6度の優勝をした元アヴァルガ(モンゴル相撲の横綱に相当)。メキシコ五輪のレスリング重量級銀メダリスト(モンゴル初の五輪メダリスト)となったモンゴル国の国民的英雄。母は元外科医。義父は実業家で、元朝青龍全国後援会長の和田友良。来日前にブフは10 - 12歳の時に遊びでやっていた程度で経験らしい経験はなく、バスケットボールに熱心に取り組んでいた。

大相撲で活躍していた同じモンゴル出身の旭鷲山をつてに、2000年10月25日に6人のモンゴル人と共に来日。大阪の摂津倉庫で相撲を習っていた(この会社からは以前、前頭にも上がった大飛翔を輩出)。共に来日した猛虎浪(立浪部屋)、千昇(式秀部屋)、大河(式秀部屋)らの入門が決まるなか、小柄だった白鵬を受け入れてくれる部屋は最後までなかった。少年白鵬は当時日本語が分からなかった為か英語で"I don't want go back..."と言って泣いたという。その失意の帰国前日12月24日、彼を哀れんだ旭鷲山が師匠である大島(元大関・旭國)と会食中に相談し、大島親方は友人であった当時の宮城野(元幕内・竹葉山、現・熊ヶ谷)に受け入れを申し入れた。当時の宮城野部屋は文字通り弱小部屋だった為に厳しいしきたりも少なく、育ちの良い白鵬には伸び伸びとやれる環境で結果的に良かったのだとされる。こうした経緯から現在の師匠は宮城野(元十両・金親)だが、もともと熊ヶ谷親方の内弟子であり、故に専ら熊ヶ谷親方の指導を受けている。

こうして角界入りとなるものの、部屋の先輩力士に「若くてすらっとしている子」という条件で連れてこさせた少年を見た宮城野は、父親の実績を知る由もなく、その小柄な体から大きな期待はしていなかったという。しかし一方で、大きな手足と腰、柔らかい筋肉などから、もしかしたら化けるかもしれないと思い、入門してからの2カ月間は稽古をさせず、毎日吐く程に食べさせ、牛乳を飲ませた。

四股名は、横綱大鵬と柏戸に因んで柏鵬(はくほう)とする案があったが、色白だったことから白鵬と付けられた(幕内・千代白鵬と四股名が比較されるが、命名は千代白鵬が先)。2001年3月場所に初土俵を踏むが、番付に名前が載った翌5月場所は身体の小ささもあり3勝4敗の成績で、後の横綱としては異例の序ノ口での負け越しを経験する。しかし、入門当時身長175cm、体重68kgだった体は、食文化の違いを苦にせず大食漢だったことと熱心な稽古によって大きく成長し続けた。急激な肉体の成長と才能の開花に歩を合わせるかのように、番付を駆け上がっていく、そのスピード出世から一部では「恐ろしい子」と評された(特に、稽古を付けていた当時の関取光法=現安治川親方=は、「あの白鵬って子、一晩眠るたびに強くなっている。2?3年後には化粧まわしや白い稽古まわし(共に関取の象徴)を身につける身分になりますよ!」と驚いていた)。

十両 [編集]
2003年11月場所では、東幕下9枚目で6勝1敗の好成績を上げ、関取の定員増もあり翌2004年1月場所に新十両に昇進し、翌場所、十両2場所目で追風海との優勝決定戦を制し優勝。十両はわずか2場所で通過。

新入幕 [編集]
2004年5月場所で新入幕となる。19歳1ヶ月での新入幕は貴花田(後の横綱・貴乃花)、北の湖、花田(後の大関・貴ノ花)に次ぐ当時史上4位の若さであった。その場所、千秋楽まで単独で優勝争いの先頭に立っていた北勝力を立合いの変化で破り、星1つの差で追っていた同じモンゴル出身の横綱朝青龍の「援護射撃」を果たし、自らも12勝3敗の好成績で貴花田の18歳7ヶ月に次ぐ19歳2ヶ月の若さで初三賞(敢闘賞)を受賞した。新入幕での12勝は、15日制になってから歴代3位タイ。入幕を果たした際には「親方、一番強い人を倒したときの懸賞を持ってきます。待っていてください」と熊ケ谷親方と約束した。2004年11月場所11日目、白鵬は朝青龍を送り出しで破って初金星を獲得。その夜、この一番に掛かった懸賞を持って熊ケ谷親方の前にやってくると、「ここまで来られたのも親方のおかげです。受け取ってください」と差し出した。この懸賞は熊ケ谷親方の自宅の居間の一番見えるところに飾ってあるという。

幕内 [編集]
入幕1年目にして横綱最有力候補と目され、2005年3月場所には関脇に昇進し、直近の2場所で12勝・11勝を上げていた事から大関獲りの場所と目された。達成すれば貴乃花を上回る史上最年少での昇進となったものの序盤からまさかの3連敗で、終盤追い上げて8勝7敗と勝ち越しはしたものの、大関昇進を逃がした。

同年7月場所では7日目まで6勝1敗と優勝争いをしていたが、中日の普天王戦で左足関節靭帯損傷及び内反捻挫の怪我を負い、初土俵以来初めて休場し翌9月場所では、平幕落ちした。翌11月場所は、2場所ぶりに小結に復帰し9勝6敗。

大関獲り [編集]
関脇に復帰した2006年1月場所では、12日目に朝青龍を小手投げで破る。千秋楽では大関昇進で先を越された琴欧州に寄り倒しで圧勝し、栃東との優勝決定戦を待ったが、栃東が朝青龍に勝ち優勝決定戦にはならなかった。この時初めて千秋楽まで優勝に絡んだ。

翌3月場所は、自身2度目の大関獲りの場所であった。11日目に全勝の横綱朝青龍との相星決戦で、左四つに組み合った後、左手で朝青龍の左ももを払いながらの上手出し投げで完勝し、大関昇進の基準といわれる33勝目をあげた。千秋楽では魁皇に敗れたが、優勝を争っていた朝青龍も栃東に敗れたため優勝決定戦で再び朝青龍と対戦。朝青龍に得意の右四つからの下手投げで敗れ優勝は逃したが、技能賞と殊勲賞を獲得するなど高く評価された。この一番はモンゴル国内において、瞬間視聴率は驚異の93パーセントを記録したとされる。

場所終了後の3月29日、日本相撲協会は大阪市内で番付編成会議を開き、白鵬の大関昇進を満場一致で決め、理事会で承認された。正使として友綱理事(元関脇・魁輝)、副使に春日山審判委員(元幕内・春日富士)が、大阪府堺市の西本願寺堺別院に派遣された。師匠の宮城野(元十両・金親)夫妻とともに紋付き袴姿で出迎え、「謹んでお受け致します。大関の地位を汚さぬように、全身全霊をかけて努力します。本日は誠にありがとうございます。」と昇進口上を述べた。

大関 [編集]
2006年5月場所の新大関で14勝1敗、本割で唯一負けた雅山との優勝決定戦で、取組前にかいた汗により雅山の突きが滑るという幸運にも恵まれて勝ち、新大関の勝ち星記録更新という快挙も成し遂げて初優勝を果たした。21歳4ヶ月での初優勝は貴乃花、大鵬、北の湖に次ぐ歴代4位の若さだった。12日目の帰りの車の中で「君が代」を教わり練習し、初優勝を果たした千秋楽では君が代を歌った。優勝パレードの旗手は、兄弟子の光法が務めた。

綱獲り [編集]
初の綱獲りとなった2006年7月場所初日、朝赤龍、9日目に雅山に敗れたが、その後順調に勝ち星を積み重ね、千秋楽ではここまで全勝の朝青龍に気迫の寄り倒しで土をつけ13勝2敗で場所を終えた。

横綱昇進が有力視されたが、日本相撲協会の放駒審判部長(元大関魁傑)は、朝青龍の独走を許したという理由で、理事会の招集も横綱審議委員会への諮問も行わず、横綱推挙は見送られた。千秋楽後の朝青龍の優勝インタビューの際、NHKのアナウンサーが白鵬の横綱推挙が見送られたことを朝青龍に伝えると、会場は失望ともブーイングともつかぬ大きなため息に包まれた。番付上、東横綱・朝青龍と東大関・白鵬との対戦が組まれるのは千秋楽であるため、そこまで優勝争いがもつれなかったという意味で「独走を許した」という表現となった(14日目の時点では横綱が14勝0敗で優勝決定、白鵬が12勝2敗)。横綱昇進を見送られた白鵬は、モンゴルの温泉で疲れを取るため帰国した。

翌9月場所で再び綱獲りを目指したものの、初日に稀勢の里に敗れ、その際右膝を負傷。12日目でようやく勝ち越すが、その後千秋楽まで連敗。8勝7敗で横綱への挑戦は白紙に戻った。

翌11月場所は、場所直前の11月1日稽古場のある公園内の階段でトレーニング中つまずき、左足親指を怪我、翌日、左母趾基節骨遠位端骨折と診断され福岡市内の病院で手術(ボルトを入れ4針縫う)し入院。9日に抜糸し退院したが、同日宮城野親方が会見を開き、怪我の回復を優先させる事から休場を発表、初の全休となった。次の2007年1月場所は、自身初の角番であったが、12日目で8勝目を挙げ、角番を脱した。

3月場所は千秋楽の優勝決定戦で立合いの変化で朝青龍を上手投げで下し優勝。変化ということで内容が十分でないとの意見もあったが、翌5月場所は全勝優勝で満場一致の横綱推薦となり、横綱に昇進した。横綱土俵入りは熊ヶ谷親方の推薦もあり、熊ヶ谷の入門時の師匠である元横綱・吉葉山と同じ不知火型を選択。土俵入りの指導は元横綱・旭富士の安治川(当時。現在・伊勢ヶ濱)親方だった。

横綱 [編集]

2007年 [編集]
7月場所は初の横綱としての土俵。16連勝でスタートしたが、10日目に琴光喜に敗れ25で連勝はストップ。12日目の魁皇戦では、土俵際で魁皇の突き落としが決まったように見えたが行司・木村庄之助の軍配は白鵬に上がった。物言いが付き差し違えとなると思われたが、放駒審判部長は取り直しと説明した。

この日の大相撲中継の解説であった北の富士勝昭、実況アナウンサーの刈屋富士雄も、魁皇の勝ちであるように見えたと発言している。この相撲で魁皇は負傷し、取り直しの一番は全く相撲にならず白鵬の勝利。翌日から魁皇は休場した。白鵬自身調子が狂ってしまったのか、翌13日目の琴欧洲と14日目の千代大海に敗れ、横綱として初の連敗を喫し、この時点で3敗に後退して3連覇の可能性が断たれた。

そして千秋楽には実に4年10か月振りとなる両横綱の対戦(2002年9月場所の武蔵丸 - 貴乃花以来)で朝青龍に敗れ、3連敗を喫して11勝4敗に終わった。

翌9月場所はもう1人の横綱朝青龍が自身の不祥事の為に出場停止処分となり、事実上1人横綱となった。初日に安馬(現:日馬富士)に敗れ、中日までは安美錦を追う形となった。さらに11日目には豊ノ島に敗れ、新入幕の豪栄道に優勝争いのトップを明け渡してしまったものの、横綱としての責任を果たし、13勝2敗で横綱初優勝となる通算4度目の優勝を果たした。

11月場所では朝青龍の休場(出場停止)もあり、自身初の東横綱の座に就いたがこの場所も初日琴奨菊に敗れた。大関時代からなぜか初日に分が悪い。14日目に11勝2敗の相星対決で降した大関千代大海が右肘負傷により千秋楽を休場するアクシデントが発生した為、取組を待たずに5回目の優勝が決まった。その千秋楽結びの一番の琴光喜戦では下手投げで裏返しにされて敗れ、祝勝気分に自ら水を差した格好になった。なお、日本相撲協会によれば千秋楽に優勝を争う一方の力士が休場することによって幕内最高優勝が決まったのは、1927年(昭和2年)10月の不戦勝制度適用以来初めてのことだった。
2008年1月場所、初日から好調で優勝争いのトップを走った。そして西横綱朝青龍も負けじと白鵬に並走し、遂に2002年9月場所の武蔵丸 - 貴乃花以来となる東西横綱同士の千秋楽相星決戦となった。注目の一番は白鵬が朝青龍を左上手投げで下し、3場所連続6度目の優勝を決め、幸先の良い一年のスタートとなった。

3月場所では4日目の平幕安美錦戦で早くも土がつき、12日目にも千代大海に敗れ、それまで全勝の朝青龍に引き離されていた。しかし朝青龍が12日目と13日目で土がつき、14日目の時点で両横綱共に2敗で並んだため、1995年3月 - 5月場所の貴乃花 - 曙戦以来、約13年ぶりの2場所連続の千秋楽横綱相星決戦となった。結果は朝青龍に小手投げで敗れ、4連覇を逃した。

5月場所は9日目まで全勝だったが10日目の安馬(現:日馬富士)戦で敗れた際に左足首を捻挫、その影響で優勝争いから脱落する。千秋楽結びの一番で、朝青龍に引き落とされて両手をついて敗れた後、横から駄目押しされたためか、白鵬が朝青龍に肩をぶつけ両者が睨み合うという事件を起こした。その翌日の5月26日、北の湖理事長は師匠である宮城野親方を国技館に呼び厳重注意、5月27日には当事者の白鵬と朝青龍に対してもそれぞれ口頭で厳重注意の処分となった。

7月場所、6日目から朝青龍の途中休場により1人横綱となったが、13日目に魁皇を下し7回目の優勝、千秋楽には琴欧洲も降し横綱昇進後初となる通算2度目の全勝を果たした。これで各場所すべて優勝(全6場所制覇)を成し遂げたことになる(歴代10人目)。ちなみに歴代の不知火型の横綱で年6場所制になってからは、玉の海の優勝6回を上回り最多となり、昭和以降では年6場所制以前の羽黒山と並んだ。優勝制度が始まって以降の最多は太刀山の9回。

9月場所、3日目の東前頭筆頭の琴奨菊との取り組みで左の上手投げで勝ったが、立合い直後の「琴奨菊の手つき不十分」として放駒審判長(元大関魁傑)から「待った」がかかっていた(これは行司も気づかなかった)。やり直しの一番も寄り倒しで制し、“1日2勝”することとなる。

5日目に稀勢の里(0勝4敗)に横綱になって初めて敗れ、19で連勝はストップし金星を与える。

14日目に、自分の取組前に安馬(現:日馬富士)と琴光喜が敗れ、結びの一番で琴欧洲と対戦、上手投げで相手を屠って8回目の優勝を決めた。またこの日同時に、年間勝利数が2位の安馬と16勝差となり、11月場所を残して2年連続2回目の年間最多勝利を決めた。千秋楽で琴光喜を破り、14勝1敗で9月場所を終えた。

11月場所、初日に安美錦に敗れるスタート。この場所の序盤は相撲内容が良くなく、苦しみながら勝つという状況が続いて、12日目に大関昇進を目指す安馬(現:日馬富士)に敗れた。優勝争いは千秋楽の本割終了時点に於いて13勝2敗で安馬と並び、優勝決定戦となった。決定戦では両者白熱した攻防の末、白鵬が強引な上手投げで安馬を下し、3場所連続9回目の優勝賜杯を獲得した。この優勝で、歴代の不知火型の横綱では史上最多の優勝回数となった。

2009年 [編集]
1月場所は初日から9連勝で4場所ぶりの土俵となった朝青龍と並んでいたが10日目に日馬富士に敗れて朝青龍にリードを許した。その後も全勝の朝青龍との星1つの差は変わらず、優勝争いはこの2者に絞られていった。千秋楽の本割では朝青龍の立ち合いミスを逃さず寄り倒し、優勝決定戦に持ち込んだが、優勝決定戦で朝青龍に敗れて4連覇を逃した。

3月場所も朝青龍と熾烈な優勝争いを演じていた。10日目に朝青龍が日馬富士に敗れた後もペースを崩すことなく単独トップを維持し、14日目に10回目の優勝を決めた。これにより、不知火型の横綱では最多の優勝回数を更新した。翌日の千秋楽も朝青龍を破って自身3度目の全勝で締めくくった。

略歴 [編集]
2001年3月場所 - 初土俵(一番出世)
2004年1月場所 - 新十両
2004年5月場所 - 新入幕
2005年1月場所 - 新小結
2005年3月場所 - 新関脇
2006年5月場所 - 新大関
2007年7月場所 - 新横綱

取り口 [編集]
右四つ左上手で万全である。立合い右でカチあげて素早く右を差し込む。張り差しにいくことも多い。体質が柔軟で、腰が重く、摺り足も良くてまさに磐石。相手の好きなように攻めさせておきながら最後は自分の型で勝ついわゆる「横綱相撲」が出来る。しかし実際には相手に応じて両差しの攻めや突き押しに転じることが多い。投げも強く、特に膝を送りながら投げる上手投げが強烈で、相手は見事にひっくり返る。廻しを切る技術も秀逸である。

しかし幕内に上がってきた頃の取り口は今とは比べようも無いほどひどかった。素質のみを武器としている感があり、前に攻めるよりも投げや引き技で安易に勝負を決めてしまう傾向が強く、また立合いの呼吸もどちらかといえば汚いものだったので、好角家をしばしば嘆かせていた。そのような中でも立合いから左前褌を狙って踏み込む相撲には光るものがあり、しだいにその形が身についていった。ただ大関時代に研究されて立合いに左前褌が取れなくなり、綱取りを逃したこともあって、両差しなど他の型の相撲も見せるようになった。

相手に応じた自由自在の相撲が固まっていくにつれて攻めの意識に欠けるような相撲は減っていったが、時より顔を出すことがあり、横綱となった今でも消えたとはいえない。無理をしてでも寄り切って勝つようなことはあえてせず、すぐに投げにいったり、あるいはとったりや叩きで取り組みを優位に進める嫌いがある。白鵬自身はそのような時に「流れで勝った」という類のコメントをしばしば残しているが、そのような勝ち方が横綱として必ずしも相応しいものとはいえない、という意見もある。

廻しを取られて横に回られる動きに対応し切れないことがあり、日馬富士や安美錦に苦労することが多い。その他にも立ち合い変化についていけずに相手に十分の体勢を許してしまうこともある。

主な成績 [編集]
2009年3月場所終了現在

通算成績:432勝139敗21休(49場所、勝率 0.757)
幕内成績:338勝91敗21休(30場所、勝率 0.788)
横綱成績:144勝21敗(11場所、勝率 0.873)
連勝記録:25(2007年3月場所千秋楽 - 2007年7月場所9日目)
年間最多勝:2007年(74勝16敗)、2008年(79勝11敗)
三役在位:7場所(関脇5場所、小結2場所)
大関在位:7場所

各段優勝 [編集]
幕内最高優勝:10回(2006年5月場所、2007年3月場所、2007年5月場所=全勝、2007年9月場所、2007年11月場所、2008年1月場所、2008年7月場所=全勝、2008年9月場所、2008年11月場所、2009年3月場所=全勝)
十両優勝:1回(2004年3月場所)
トラスト クター アップ オバタ ダナン たはら トランス うちまた ノンワイヤ エレジー リアリス ミシンス オポチ カップ シュート キナノ ブレイ ぼしん ヤマボウ ロジウム ログレコド サング トグル ミニデ とらべる この日 スキュラ ダウンヒル モーダル フリッカー レセルピン キジムシ デスクト ディナー ロライト ビーチ ティラナ 長久パート チーク ストック 秋の夜 ユキヤナ トラン 夕凪 バーチ タイイン イザー サマル バッテ ピトン

三賞・金星 [編集]
殊勲賞:3回(2004年11月場所、2006年1月場所、2006年3月場所)
敢闘賞:1回(2004年5月場所)
技能賞:2回(2005年1月場所、2006年3月場所)
金星:1個(朝青龍)

人物・エピソード [編集]
あまりにもよく寝るため、部屋の兄弟子が「死んでいるのではないか」と心配したことがある。今でも一日16時間以上の睡眠は欠かさない。場所中以外は朝稽古の後、6時間も昼寝をする。夜も多い時には10時間寝る。初の綱獲り挑戦の2006年7月場所後は、16時間眠り続けた。
父のムンフバトによるとモンゴルの新聞では毎場所の様に、結婚の話題が出て既に20人近くと結婚した事になっている。
小さい頃、兄とタルバガンを獲りに行った時に、兄が獲物を銃で撃つ事に夢中で遠くに行ってしまい、羊の群れと一緒に草原に置き去りにされた。そこで羊を狙う狼とハゲワシに遭遇したが奇跡的に助かった。
幕下時代に朝帰りをし、宮城野親方(現熊ヶ谷親方)が激怒し破門寸前。土下座し謝り許しを得る。
入幕前、幕内で3場所33勝以上なら大関になれると勘違いしており、相撲記者に「三役で33勝」と教わったことがある。
大相撲中継で藤井康生アナウンサーが誤って熊ヶ谷親方の事を「白鵬の師匠の宮城野親方」と言い間違えた事がある。これは熊ヶ谷親方が以前宮城野を名乗っていたための間違い。また山口達也アナウンサーが「白鵬と同じ熊ヶ谷部屋で指導する」と言い間違えたこともある。それだけ師弟の関係が深いといえる。
週刊現代が2007年6月4日号にて現宮城野親方(元十両・金親和行)が朝青龍ら4力士に2006年7月場所の八百長依頼をした疑惑を取り上げた。宮城野親方が八百長の準備をし、支払いは白鵬に任せているという。この件は一連の報道の4件目の民事訴訟の告訴となった。また、協会は週刊現代の刑事告訴も行っている。
2007年7月よりはじまる一連の朝青龍騒動では同情的なコメントを寄せている。8月23日には朝青龍の外出について感想を求められて「いいんじゃないですか?」と答え、朝青龍帰国に際しては「けがを治すなら、落ち着いてやるのがいい。体よりも心の痛みが強いと思う」と郷里の先輩を気遣った。
横綱になった年、本来は毎年開かれている歴代横綱親睦会が、時津風部屋力士暴行死事件のあおりで中止(2000年以来2度目)になってしまった。本人は楽しみにしていた。
2007年2月に当時大学生であった徳島市出身の女性と結婚。このとき夫人は第1子を身ごもっていた。同年5月10日に第1子(長女)が誕生、2008年9月3日には第2子(長男)が誕生している。
現在の妻と交際を始めた際、恋愛術の参考としていたのが「冬のソナタ」だった。
三段目時代の2002年7月場所で3勝4敗と負け越して以来、休場以外の皆勤負け越しがない、また皆勤して負け越したのは初番付の2001年5月場所と2002年7月場所の2場所だけである。
大関昇進前までは若の里に分が悪く、初顔合わせから6連敗をしていた、しかしそこから6連勝して現在の対戦成績は五分である。
また横綱昇進後は日馬富士に分が悪く、それまで初顔合わせから5連勝していたが横綱昇進後の成績に限ると5勝6敗(優勝決定戦は含まない)となっている(2009年1月場所終了時)。
モンゴル出身力士の中では一番酒が強い力士でもある。
2008年4月1日のプロ野球公式戦「巨人対中日」(東京ドーム)において、始球式を務めた。背番号は第69代横綱に因んで「69」だった。
また徳島ヴォルティスのオープニングセレモニーにも出席。白鵬は「嫁さんの地元だから、ヴォルティスに勝ってほしいね」と言ったが、逆転負けをしてしまった。
過去優勝決定戦に5度進出し、3勝2敗。ただその3勝はいずれも本割では負けている。逆に2敗は本割で勝っている。

2009年03月17日

寺の南側には広大な鏡容池(きょうようち)

寺の南側には広大な鏡容池(きょうようち)があり、周囲は回遊式庭園になっている。境内北側には方丈(本堂ともいう)、仏殿、茶室蔵六庵などが建ち、これらの西側には非公開の「西の庭」がある。西の庭には開基細川勝元の木像を祀る細川廟などがある。著名な石庭は方丈南側の土塀で囲まれた中にある。なお、寺の背後には第66代一条天皇を含め5人の天皇の陵墓がある。

仏殿?1981年の再建。
方丈(重文)?もとの方丈が火災で失われた後、塔頭寺院の西源院の方丈を移築したもので、慶長11年(1606年)の建築である。木造であり、世界遺産である。

石庭
方丈庭園(史跡・特別名勝)?いわゆる「龍安寺の石庭」である。幅25メートル、奥行10メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を5か所に点在させただけのシンプルな庭である。近世の地誌類には、室町幕府に仕えた相阿弥の作庭と伝えるが、作者、作庭年代、表現意図ともに諸説あって定かでない。室町時代末期の作で特芳禅傑らの優れた禅僧によって作られたものとも伝えられる。

15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているという。しかし、中の部屋から1ヶ所だけ15個の石すべてが見える位置がある。ハルト・バン・トンダとマイケル・ライオンズによれば、それは方丈の間の中心であり、15の石の配置は、ここを根元とする「二分岐構造」になっているという。ただし、この程度の面積の庭に15個の石を並べれば、そのうちの一つは隠れて見えなくなるのはむしろ当然のことだとする意見もあり、これを表現意図とする考え方には賛否両論がある。なお、東洋では十五夜(満月)にあたる15という数字を「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、15に一つ足りない14は「不完全さ」を表すとされている。また、日本には、日光東照宮の陽明門にみられるように、「物事は完成した時点から崩壊が始まる」という思想があり、建造物をわざと不完全なままにしておくことがある。

この庭には近世以来「虎の子渡しの庭」の別称がある。この庭を「虎の子渡し」という中国の説話と結び付けるのは伝承にすぎないが、参考までに説話の概略を以下に示す。

虎は、3匹の子どもがいると、そのうち1匹は必ずどう猛で、子虎だけで放っておくと、そのどう猛な子虎が他の子虎を食ってしまうという。そこで、母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時は次のようにする。母虎はまず、どう猛な子虎を先に向こう岸に渡してから、いったん引き返す。次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に行くと、今度は、どう猛な子虎だけを連れて、ふたたび元の岸に戻る。その次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡る。この時点で元の岸にはどう猛な子虎1匹だけが残っているので、母虎は最後にこれを連れて向こう岸へ渡る。つまり、3匹の子虎を渡すのに3往復半するわけである。龍安寺の石庭はこの様子を表わしたものだというわけである。
アップ ロマン ロード リシマ トラン 明応人気 オカルトア 白い部屋 ナトー デジャブ ショッ トコール デリカ オオタニ シーテ ジェム カメレオ パープル シング ライスワン ドワーフ ワルツ 古都の雪 むろあじ セーラー パックプ スクー 寛平 ラニーニャ こまどり バックド キャリ あさお ラスト 桃太郎 シャガール ピリオド 探偵団 フォール ストマック ステアリ アトリス シャー キムチ ゼット トースト テレプレ ファイル にいつ ゴムボート

イギリスのエリザベス女王が1975年に日本を公式訪問した際、石庭の見学を希望。女王が石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道された。そのため昨今では世界各地での日本のZEN(禅)ブームと相俟って日本人より海外の観光客の来訪者の比率が高いといわれている。

その他の文化財
太平記12冊(重文)?『太平記』の古写本の代表的なもの。徳川光圀が本書を借用したことでも知られる。1929年に火災に遭い、全13冊のうちの1冊を焼失。残りの12冊も焼損痕が残っている。
知足の蹲踞(つくばい)?茶室蔵六庵の露地にある。蹲踞は茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のこと。ここの蹲踞には「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれているが、その意味合いから石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めでもあるといわれる。また水を溜めておくための中央の四角い穴が「吾唯足知」の4つの漢字の「へん」や「つくり」の「口」として共有されているのが見どころであり、そのため一見「五・隹・疋・矢」と読める。徳川光圀の寄進と伝承されているが、一般拝観者が見ることできるのは複製である。

2009年03月01日

宇宙中の星へメタルモンスを送り込み大攻勢

宇宙中の星へメタルモンスを送り込み大攻勢を仕掛けるエンペラ星人の軍勢。

迎え撃つウルトラ戦士のうち、新人ネオスとセブン21が派遣されたのは辺境のセントール星であり、多少なりとも腕に覚えのある二人は怪訝に思いつつ、防衛にあたる。彼らの実力を認め自らの手で倒すため降り立ったザム星人の前に現れたのは、メフィラスの死で意気消沈したと思われていた闘士ウルトラマンであった。

ウルトラの星では戦力を再編成、自らは銀河遊撃隊の隊長となっていたのだ。そしてセントール星には先のシーダ戦で使用を余儀なくされたウルトラキーが隠されており、残るベルとミラーをも手中にせんとするエンペラ軍との戦いは争奪戦の色彩を濃くしていく。

登場キャラクター
声はOVA版に準じる。

ウルトラ戦士
闘士ウルトラマン/超闘士ウルトラマン(声:森川智之)
本編の主人公。修行を重ね、正々堂々とした戦いを好む好漢。第1回銀河最強武闘会準決勝でメフィラスと戦い傷つく。ゼットンとの決勝戦を前に科学特捜隊から急ごしらえの装鉄鋼を贈られ、闘士となった。その後キング星で修行した結果、闘士を名乗るにふさわしい技量を備えた。正義と友情のためには命を惜しまぬ精神を持ち、それゆえに第2回銀河最強武闘会においてマザロンの魔の手からメフィラスを救おうと超闘士化するも肉体がそのエネルギーに耐えきれず死亡し、肉体を失う(超生命体であるウルトラ戦士に明確な死の概念はないが、肉体を失い精神だけになった場合は死以外の何ものでもないとされる)。しかしウルトラマンキングの導きにより太陽神の手によって肉体が修復され、作品内時間で3年後に復活が予定されている(単行本6巻まで)。
そして第3回銀河最強武闘会では復活している。復活と共に、真の超闘士として戦う為に必要なウルトラホーンと同じ効力を持つウルトラクラウンを装備してゴーデス編で真の超闘士として戦った。そしてそれすらも魔神に破壊された時、彼は仲間達の想いと銀河永遠の命デルタスターの力を得て究極の超闘士ウルトラマンとなる。
エンペラ星人編では銀河遊撃隊の隊長としてネオスや21を指揮して戦った。
真面目な性格故にギャグとは無縁と思われていたが、第3回銀河最強武闘会にてキングに変装していた事が仇となり、無理矢理のギャグ(一発芸)をするハメになってしまった。なお、ハイパー化もできるはずなのだが、劇中では登場しなかった。
主な本作オリジナル技
スペシウム・アタック
スペシウム光線の構えからエネルギーを集中してアタック光線の形で放つ技。メフィラス大魔王のエネルギー弾を相殺した。同じ構えでハイパーゼットンを倒している。
スペシウム超光波
スペシウム・アタックの発展型。マザロンを倒した超エネルギー波。
闘士ウルトラセブン/フルアーマー闘士ウルトラセブン(声:関俊彦)
ウルトラマンの親友にして格闘技の達人。レオの師匠でもある。第1回銀河最強武闘会終了直後にガッツ星人にエネルギーを封印する棺に入れられてしまう。闘士ウルトラマンとウルトラ警備隊の尽力により、メフィラスの襲撃の真っ最中に復活、ウルトラ警備隊の用意した装鉄鋼をまとい闘士として参戦する。アイスラッガーにウルトラ戦士のエネルギーをチャージしてメフィラスと戦うもタロウを盾にとられ、倒れるが、最後は闘士ウルトラマンがチャージスラッガーを用いてメフィラス大魔王を倒した。
第2回大会は途中棄権するも、その後の銀河大戦ではホーク・ウェポン1号、2号、3号を操り闘士ウルトラマンの抜けた穴を埋めた。ホーク・ウェポンの最も強いパーツを選りすぐって武装した姿をフルアーマー闘士ウルトラセブンと呼ぶ。ヤプールとの最終決戦に参戦、メフィラスやタロウと共闘した。
主なオリジナル技・武装
チャージスラッガー
カラータイマーやビームランプから放出されたウルトラ戦士のエネルギーを蓄えたアイスラッガー。メフィラス大魔王を倒した。
ホーク・ウェポン1号
ウルトラホーク1号を模した武装。合体状態では上に乗って飛行も可能。分離するとアルファ・ソードという剣、盾(β号型)、背面ウィング(γ号型)になり身体に装着される。
ホーク・ウェポン2号
ウルトラホーク2号を模した武装。単体で飛行が可能。二つに分かれて背中に装着する。その状態で中央から折れて、両肩部分から伸びエネルギー弾を発射するキャノン砲として用いる。
ホーク・ウェポン3号
ウルトラホーク3号を模した武装。単体で飛行が可能。分解することで弓と矢と盾、バックパックになりマグネリューム・シュートという必殺技を放てる。OVAではライザーGの右腕にも装備された。
闘士ウルトラマンジャック(声:影丸茂樹)
棒術の達人。思慮深く真面目な好青年。おふざけ担当のエースに対するツッコミ役の一人でもある。
まだ少年だったタロウの中に潜在する大いなる力を見出した最初の人物であり、彼の戦士としての成長を見守る。ウルトラブレスレットを変形させたウルトラランスをロッドのように使って戦う。第1回大会ではエースとあたるが、ゼットンを食い止める作戦の一環として自ら棄権したため見せ場は無し。鋼魔四天王の闘士ザラブとの戦いでは戦意を喪失したタロウを庇い捨て身のカウンターを繰り出し、相討ちとは言え倒した。最終局面に於いてタロウ、ゾフィー、Gと共に闘士セブンの繰り出すチャージスラッガーに残りのエネルギーを託し勝利に貢献する。その後の修行の結果 MATから装鉄鋼を贈られる。装鉄鋼は背中にMATマークを思わせる形状のウイングを持つスピードタイプのデザインである。
第2回大会ではベスト16に残るが、エースキラーの繰り出す数々の必殺技に大苦戦の末、痛恨の一撃を食らい敗北。
準決勝、闘士マン・メフィラスとマザロンとの試合に於いてマザロンの暴走を目の当たりにしヤンドへ大会の中止を打診しようとするが何時の間にか拉致され、ヤプール側近のアンチラ星人に摩り替えられてしまっていた(これは『ウルトラマンA』においてアンチラ星人が郷秀樹に化けて登場したことへのオマージュ)。氷の惑星・リ?ズ星で氷漬けにされていたところをにせジャック=アンチラ星人を倒した闘士セブンとレオ兄弟によって救出される。
ゴーデス編に於いては第3回銀河最強武闘会にてベスト16、闘士ゼットンとの試合に敗れる。
仮面騎士の正体たるゴーデスと闘士マン、タロウ、メフィラス、パワードとの戦いに於いては他のメンバー同様ゴーデス細胞の影響で無力化されるが療養後、重装鉄鋼を授かり究極魔神シーダとの戦いに参戦。その際に、親分であるササヒラーを見限った闘士ヤメタランスに手を貸して(ここでウルトラブレスレットは本作オリジナルの怠け放射能を防ぐバリアーを張る首輪となる)共に地球人達の救出作業を行った。
彼の重装鉄鋼は随所にウルトラブレスレットの意匠を盛り込まれたデザインで、両肩のアーマーの内部に大型ビーム砲・シネラマブラスターを内蔵した長距離支援タイプである。
OVA版(彗星戦神ツイフォン編)ではタロウ、エース、レオ兄弟、エースキラーSと共に彗星状態のツイフォン迎撃にあたるが失敗。
エンペラ星人編にて再編成された宇宙警備隊に於ける彼の動向は不明。
闘士ウルトラマンエース(声:西村智博)
光線技の達人。熱血漢で後先考えない激情家であると同時にギャグ要員でもある。彼を倒すためにヤプールによって造られた経緯を持つエースキラーとは奇妙な友情で結ばれている。第1回大会ではウルトラマンのパワーを温存させるための作戦の一環としてゼットンを引き止める役目を引き受ける。とはいえ光線技の通じないゼットン相手に苦戦し、最後は立ったまま意識を失った。そのファイト溢れる戦いぶりは、ウルトラマンも認めるほどのものだった(その意気に応えてか、ウルトラマンが彼の持ち技であるエースリフターを使ってゼットンを投げ飛ばすシーンもある)。メフィラスと鋼魔四天王の襲撃の際にはゾフィー、タロウ、ジョーニアス、80のエネルギーをチャージしスペースQを試みるも、とさかをメフィラスに吹っ飛ばされ不発に終わっている。その後の修行により TAC から装鉄鋼を贈られる。装鉄鋼はタックスペースを模した胸部を持ち、手甲にはAと描かれていた。
第2回大会では超獣と戦った経験からヤンドの正体に気づきかけるも、ごまかされてしまう。トーナメントでエースキラーと当たりほぼ勝利を掴みかけたが、自らが放った新必殺技メタリウム・バーストを食らい会場を包むエネルギー電磁光へと吹っ飛ばされたエースキラー救おうとして自らが電磁光に接触、戦闘不能となり敗退する。その後ヤプールとの最終決戦に参戦する。本拠地に乗り込むための鍵を得る戦いでアプラサこと超獣アプラサールとの恋と死別という悲しい物語があった。やがてその最終局面、テリブルゲートの暴走によって崩壊の危機に瀕したヤプール次元を救おうとする超闘士タロウの心に応え、仲間達と共に残ったエネルギーをタロウに与え、コスモミラクル光線によってテリブルゲートを破壊するために助力する。
第3回銀河最強武闘会に於いてはベスト16で闘士レオを破るが、ベスト8で謎のウルトラ戦士・仮面騎士に敗退する。その仮面騎士がゴーデスとしての正体を現し、超闘士マンとタロウ、メフィラス、パワードの4人との間で繰り広げられた戦いに於いては他の仲間同様ゴーデス細胞によってエネルギーを吸収され無力化してしまうが、療養後に重装鉄鋼を授かり究極魔神シーダとの戦いに臨む。彼の重装鉄鋼にはメタリウムソードという名の長剣が装備されており接近戦に於いて威力を発揮する。斬り込み隊長的な彼のキャラクターを生かした装備である。
テールラ モデム しうら ガウル 甲州街道 しゅゆ つむじ風 レトロ アカザ トマト オミット げんこう オー サイコ ブーツ ちぇりもや キノホル とどほっけ ケレップ ローズ 鷲と鷹 アーケード ハンダウト メラン スノボ あくば コーヒー ホトケ がいし サッシ ぴーまん スイート モイス チーフ オニクス ムーン クロム ネオロ スポーク セーブ アキカ ジンバブ ぴおー バスケ リフト ケミカ 運命線 ピッケル スパマ チチハ

OVA版ではタロウ、ジャック、レオ兄弟、エースキラーSと共に彗星状態のツイフォン迎撃の任務に就くが失敗。
エンペラ星人編に於いては再編成された宇宙警備隊の守護闘士となり南銀河の守りの要として活躍。銀河遊撃隊隊長となった闘士マンの許に他の守護闘士と共に集結。空軍参謀ブラック司令率いるエンペラ空軍との壮絶なバトルを演じた。
主なオリジナル技
メタリウム・バースト
メタリウム光線のエネルギーを地上に走らせ、地面ごと相手を吹き飛ばす技。エースキラーを圧倒した。
Wメタリウム光線(ダブルメタリウム光線)
ウルトラ戦士の能力をコピーしているエースキラーと協力して放った合体光線。

2009年02月11日

逢魔が時

『逢魔が時』(おうまがどき)は、2001年8月9日にビクターインタラクティブソフトウエアからプレイステーション向けに発売されたサウンドノベルアドベンチャーゲーム。本項では続編である『逢魔が時2』『逢魔が時プレミアムFANディスク』についても記述する。
せんぼ メカイ ママコー フリーパス ナンキ プルタブ ジャワ フロント ムラサキ ルスカ サファー ルビジウム レジス スギ シャギー フェン ピット お祭り センチ ピアニ ディー まほうの夏 ストラップ キュラ ニッツェル 鳥の巣 しらかし ケイス やはば フィン マップ はなゆ プレーボ さつま ビジー ソマト べーる リュウ ストーブ ニール バギー ブラシノキ キャップ ノータム ソリティ デプロ ハラッパー ナイル クロスプレー クロスワード

なお、ファミコンソフト『ジーキル博士の彷魔が刻』とは無関係。
キャッチコピーは「和風ホラー・ノベル」。原作者は谷登志雄。

シナリオは6本あり、それぞれに複数の結末が用意されている。ゲームオーバーはなく、必ず次のシナリオに進むことができる。まず「序章」をプレイし、次に「河童」というシナリオに移行する。これをクリアすると、「脱衣婆」「池袋の女」「一本たたら」という3本のシナリオが出現。この3本は好きな順にプレイできる。3本とも終了すると、最終話「二尺の顔」が出現、クリアするとスタッフロールが流れ、終了となる。2週目以降も再び序章から順番にプレイしなくてはならない。

直前に見たシナリオの結末によって、次のシナリオの内容が若干変化することがあり、これを「続編シナリオシステム」と呼称していた。

なお本作は、実は「逢魔が時」という物語の前編に過ぎず、ストーリーは未完のまま次作へ引き継がれることになる。

逢魔が時2

概要・システム
前作の僅か1ヵ月後である2001年9月13日に発売されたが、内容は続編というより「前後編の後編」というべき位置付けである。

前作のセーブデータを読み込むことで、前作の結末から続くストーリーをプレイできる(複数の結末に辿り着いていた場合は、その中から好きな結末を選択できる)。前作のデータがない場合は、「序章~河童~」というシナリオからスタートする。これは辰岡が江戸時代に行き寺子屋を始めるまでの経緯(前作のそれとは異なっている)と、前作の1シナリオ「河童」を再構成したエピソードとなっている。

本作も序章を含めた6本のシナリオから成っているが、前作とは違いプレイできる順番は決まっている。ただし、一度クリアしたシナリオは自由に再プレイすることが可能となった。前作と本作のエンディングを全て見ると、原作者のメッセージと映像特典を見ることができる。

逢魔が時プレミアムFANディスク
概要・システム
「もう一つの逢魔が時キャンペーン」の景品。 逢魔が時1・2の帯にそれぞれ印刷されている応募券を切り取り、送料分の切手を同封して送ると必ず入手できた非売品ディスク。2の後日談を描いたシナリオ「外伝」と、『ぷよぷよ』タイプのパズルゲーム「遊戯台」、サウンドテスト、2作の動画・静止画を再生できる項目などが収録されている。

なお本ディスク入手者には、2002年に同社のサウンドノベル『月の光 〜沈める鐘の殺人〜』の発売告知葉書が郵送された。

ストーリー
時は西暦2001年の夏。青年・辰岡勇太郎は1人の女性を追い、夕暮れの東京を走っていた。追いつこうとしたその時、突然閃光が放たれ、辰岡は幕末の江戸へとタイムスリップしていた。記憶に欠落をきたした彼は、寺子屋を始めながら記憶を取り戻そうとする。自分は何者か?追っていた女性とは?そして江戸の町に続発する怪事件…。

登場人物
辰岡勇太郎(たつおか ゆうたろう)
主人公。現代の東京から江戸時代へとタイムスリップし、その時のショックで記憶の大半を失った青年。「杏子」という名の女性を追っていたが、同時に自分も何者かに追われていることは覚えている。学問は全般的に得意だが運動能力は低く、字も汚い。江戸の長屋で子供達に西洋算術(数学)を教える寺子屋「辰岡塾」を開校し、生活していくうちに次第に記憶を取り戻していく。貧しい農村を目の当たりにして学者面をしていた我が身を反省したかと思えば、その後のエピソードで二言目には「ぼかぁ学者です」を連発したりもする。非科学的なことは一切信じず、直面すると理解が追いつかなくなる。地の文で、「その時だった」というフレーズを頻繁に使う。愛称は「ゆう」だが、作中ではお七にしか呼ばれたことはない。名前・愛称共に変更可能。
声・岡野浩介
杏子(きょうこ)
辰岡が追っていた女性で、彼と一緒に江戸時代にタイムスリップするが、その後行方不明になっていた。辰岡は名前以外はまったく覚えていないが、一緒に元の時代に帰らなければならないという気持ちは残っている。
声・むたあきこ
お七(おしち)
辰岡が江戸時代で最初に出会った人物で、夜鷹をしていた女性。長屋に住んでおり、面倒見がよく辰岡に色々な世話を焼いてくれる。特技は三味線。他人から同情されることを嫌う。
原田宗次郎(はらだ そうじろう)
お七と共に、辰岡が江戸で初めて出会った人物。南町奉行所定廻同心を務める武士。辰岡塾を度々尋ねてくる。厳格な性格で、感情表現が苦手。
声・津田英三
嘉助(かすけ)
辰岡と同じ長屋に母親と住んでいた男で、なぜか西洋算術に興味を持ち、唯一の大人の塾生となった。定職は持たず、手製のやじろべえを売ったり、瓦版に怪しげな情報を提供したりして生活している。お調子者のホラ吹きで、その口は「ホラ貝」とあだ名されている。
お夏(おなつ)
塾生の1人で、長屋に住む少女。素直で優しい性格。塾で学ぶうちに、西洋の文化に興味を持っていく。
声・前田ゆきえ
権蔵(ごんぞう)
塾生の1人で、長屋に住む少年。多くの弟と妹を持つ。生意気でやんちゃだが兄弟思いで、ある事件をきっかけに医者を志すようになる。
声・広瀬正志
竹次郎(たけじろう)
2で登場。小物問屋で丁稚奉公していた少年で、お夏の紹介により塾生となった。愛称は「竹ちゃん」。おっとりとした性格で、いつも鼻水を垂らしている。
やつら
辰岡から「やつら」と呼ばれる、謎の追跡者達。江戸の町に潜み、何らかの実験を行っているらしいが…。2のラストで、その衝撃の正体が明かされる。

2009年01月24日

ファイアダイバーが上半身

トラン パラグ ピロティ 桂うり プラン マーガリン シング サラウンド シャン リネージ バージニ コルホーズ ハンドア ロサク 天体議会 てきか フェンディ ドメーヌ ロココ サファ みつば 最遊記 リーター ささぶね ノリウッド パパイン ライン 江戸手拭 フォビア ズクロー ツイザー 時計台の鐘 オーラン ラグビー ハッチ びわ乃 ティモール ワイン プーリー タッチ トゥク がらいろ ナリア こだわり ばんか チョオ 星の衣 レイヤ ハナキ かくの

合体形態
ガードダイバー(声:置鮎龍太郎)
ファイアダイバーが上半身、ポリスダイバーが腰と太腿、ジェットダイバーが左脚、ドリルダイバーが右脚となり緊急四体合体して完成する救助型勇者。戦闘もこなせるが、人命救助を優先に設計されている。水をくみ出すポンプ機能は戦闘、救助の両方で活用される。マニピュレーターは生卵を割らずにつまめるほど器用。
データ
全高23.5m
重量71.2t
最高走行速度980.5km/h
跳躍力1200.5m
最大モーター出力380000馬力
武装
ダイバーライフル
ダイバースパーク
ダイバーデトネイター
ダイバーアタック
ハイドロキャノン
ダイバーアンカー
必殺技
ダイバーギムレット
レスキュー特急
データ
全長24.2m
重量71.2t
最高速度340000km

その他
マイトステーション / 大列車フォートレス
勇者特急隊の基地であり、平時は管制塔部分のみが地上に出ているが、事件発生時には地下からタワーがせり出し、内部に格納されている各車両を発進させる。
後に中盤にて、青戸の工場や旋風寺邸など各地に分散していた整備施設・待機施設などを1つに集めた移動基地「大列車フォートレス」としての機能も明かされており、この形態では飛行も可能となっている。全世界最強・最大の超電導飛行施設である。

登場メカ・敵対勢力機

ウォルフガング勢力機
基本的に正統派の悪役ロボットを扱う。操縦はウォルフガング自ら乗り込むことが多いが、後半の機体にはイッヒ達が同乗する事もあった。また、傭兵が搭乗する事や、イッヒ達が単独で操縦した機もある。ティーゲル5656、メガソニック8823のように、名前に数字が入っているのも特徴。勇者ロボと同系列と思われる変形機能を持つ機が複数存在する。

飛龍
ウォルフガングが雷張ジョーに与えた試作可変戦闘ロボ。「隼号」と呼称するポルシェ928型のエレカが胸部部分に合体しコクピットとなる。
この世界では数少ない超電導ジェットに変形でき、変形機能を駆使して戦闘する。この機体を目にした時、舞人は「マイトウィング以外に超電導ジェットがあったなんて」と驚いていた。
元の名称は「ソニック」であったが、ジョーにより改名。ウォルフガングは完成型の「メガソニック8823」でマイトガインと戦ったが、当て馬にされ怒ったジョーに破壊される。このときメガソニックが使用したビームライフルはその後飛龍の手に渡り、ヒリュウブレイザーとして使用されることとなる。幾度となく舞人の前に立ちふさがり、トライボンバーの機能を停止寸前にし、ついにはマイトガインを倒すが、完成直後のマイトカイザーが繰り出したドリルクラッシャーによって撃破される。
玩具はトランスフォーマーZの「ソニックボンバー」の色換えでありベースモードにも変形可能だが、劇中では未登場。後に登場する轟龍と共に劇中のウォルフガングによる名称は流用元のキャラクターになぞらえたものになっている。
データ
全高25.5m
重量76.5t
最高走行速度780.0km/h
跳躍力870.3m
最大モーター出力770000馬力
武装
三節棍
ヒリュウジャベリン
ヒリュウトンファー
ヒリュウストライカー
ヒリュウブレイザー
ジェットモード
最大飛行速度M3
轟龍
エグゼブの軍門に下ったウォルフガングが製造した四段変形ロボで、ジョーが搭乗する。ロボットモードの他、ジェット、ドリルタンク、基地形態へと変形する。ピニンファリーナ・ミトスに似た「大鷲号」と呼称するエレカが胸部部分に合体してコクピットとなる。グレートマイトガインと同等の能力を持つ。発展型の「アトラスMk-II」、強化型「ε(イプシロン)」も後に登場。
当初、ウォルフガングの示した設計図にはドリル頭のロボットが描かれており、エグゼブは頭のドリルは趣味に合わないので外すよう注文を付けた。結果的にロボットモードで頭部に位置するドリルは変形時に脱ぐようになったものの、ジェット形態では機首にそのドリルを装備する仕様のまま完成した。ちなみに「アトラスMk-II」と「ε」では注文通りドリル自体がオミットされている。設定では四段変形だが、基地形態は1カット写るのみでドリルタンク形態は登場しなかった。
玩具はトランスフォーマーZの「ダイアトラス」の色換えであり、飛龍同様、劇中のウォルフガングによる名称は流用元のキャラクターになぞらえたものである。なお、元となったソニックボンバーとダイアトラスと同様に、玩具の飛竜と轟龍も、合体して大型戦闘機になれる(アニメでは未登場)。
データ
全高34.4m(頭頂高30.6m)
重量98.7t
最高走行速度1780.8km/h
跳躍力1870.3m
最高飛行速度9792.8km/h(M8)
最大モーター出力1680000馬力
武装
ゴウリュウキャノン
ブースターナックル
ミサイル
ジェット機モード
ドリル
ドリルミサイル
マッハ9での飛行が可能
ベースモード
基地形態
ドリルタンクモード
ドリル
ドリルミサイル

影の軍団
主に侍や忍者など、江戸時代の人間をモチーフにしたロボットを扱う。コントロール方法はコクピット内の操縦者の動きをトレースするバイオフィードバックシステムを採用している。

剣豪ロボ
佐々木小次郎をモチーフにした長刀を背負うロボット。操縦者はコジロー。一年かけて一羽のツバメを追いかけて完成した必殺剣・燕斬りを駆使する。「鉄道網大切断作戦」の一環として、各地の線路を文字通りに「切断」するという手に打って出る。
将軍ロボ
ミフネが最後の切り札として隠していたロボット。鎧武者をモチーフとしたデザインで、ミフネ二刀流という剣術を扱い、グレートマイトガインと打々発止のチャンバラ劇を演じた。

ピンク・キャット
人型ロボットは少なく、ネズミや恐竜など、ヨーロッパの童話や動物をモチーフにしたメカを扱う。コクピットは操縦を三人の部下に任せ、ビトン本人は一段高い指令席から指示を飛ばす。

ハーメルン
「女ねずみ小僧」を名乗ったビトンが強盗のために繰り出したネズミ型ロボット。名前はハーメルンの笛吹き男に由来する。銀行や富豪の家を襲い、現金を盗み出しては街にばら撒いていた。
パンプキン
ハロウィンのジャック・オ・ランタンをモチーフにしたロボット。頭頂部のプロペラで空を飛ぶ。戦闘時には四隅から手足が生え、頭のプロペラを取り外して鎌として使用する。

2009年01月17日

魔の都の二剣士

「ファファード&グレイ・マウザー」シリーズ(Swords シリーズ)は、以下のとおり。日本語訳は東京創元社から出版されている。訳者は浅倉久志。

『魔の都の二剣士』 (Swords and Deviltry) :短編集、1970年
『雪の女』 (Snow Women) :1970年、ファンタスティック誌
『灰色の魔術』 (Unholy Grail) :1962年、ファンタスティック誌
『凶運の都ランクマー』 (Ill Met in Lankhmar) :1970年、F&SF誌。ファファードとグレイ・マウザーの出会いの物語。ネビュラ賞、ヒューゴー賞受賞
『死神と二剣士』 (Swords Against Death) :短編集、1970年。1957年の Two Sought Adventure の改訂版
『円環の呪い』 (The Circle Curse) :1970年、書き下ろし
『森の中の宝石』 (The Jeweles in the Forest) :1939年、アンノウン誌、"Two Sought Adventure" を改題
『盗賊の館』 (Thieve's House) :1943年、アンノウン誌
マザーグ ロリータ あんずいろ ラウオル すないろ ブレザー ブリタ ブルジョア ドレス タジン スイート こるてーぜ ハザード ソフィア シャタカイ ロンド モーリ ルッコラ マジョル ドット 寒玉日本 フッラ アルマジ マドリード メーター ディレク 紅ほっぺ パパンサ スーツ きんしゃ チザン ミオシン ティン ドーマン ケイソウ きしょうてん スミレ ルーキー カムロ ハーフセ リフレッ オーバー おみたま ボジェット ヒイラギ スコー タチSEO マトーダ グッドア チェスト

『凄涼の岸』 (The Bleak Shore) :1940年、アンノウン誌
『泣き叫ぶ塔』 (The Howling Tower) :1941年、アンノウン誌
『沈める国』 (The Sunken Land) :1942年、アンノウン誌
『七人の黒い僧侶』 (The Seven Black Priests) :1953年、アザー・ワールズ誌
『夜の鉤爪』 (Claws from the Night) :1940年、サスペンス誌、"Dark Vengeance" を改題
『痛みどめの代価』 (The Price of Pain-Ease) :1970年、書き下ろし
『珍異の市』 (Bazaar of the Bizarre) :1963年、ファンタスティック誌
『霧の中の二剣士』 (Swords in the Mist) :短編集、1968年
『憎しみの雲』 (The Cloud of Hate) :1963年、ファンタスティック誌
『ランクマーの夏枯れ時』 (Lean Times in Lankhmar) :1959年、ファンタスティック誌
『海こそ恋人』 (Their Mistress, the Sea) :1968年、書き下ろし
『海王の留守に』 (When the Sea-King's Away) :1960年、ファンタスティック誌
『間違った枝道』 (The Wrong Branch) :1968年、書き下ろし
『魔道士の仕掛け』 (Adept's Gambit) :1947年、ライバーの短編集 Night's Black Agents
『妖魔と二剣士』 (Swords Against Wizardry) :短編集、1968年
『魔女の天幕』 (In the Witch's Tent) :1968年、書き下ろし
『星々の船』 (Stardock) :1965年、ファンタスティック誌
『ランクマー最高の二人の盗賊』 (The Two Best Thieves in Lankhmar) :1968年、ファンタスティック誌
『クォーモールの王族』 (The Lords of Quarmall) :1964年、ファンタスティック誌。フィッシャーと共著
『ランクマーの二剣士』 (The Swords of Lankhmar) :長編、1968年、前半部は Scylla’s Daughter として1961年ファンタスティック誌に掲載
Swords and Ice Magic :短編集、1977年
"The Sadness of the Executioner" :1973年、リン・カーター編 Flashing Swords! #1
"Beauty and the Beasts" :1974年、The Book of Fritz Leiber
"Trapped in the Shadowland" :1973年、ファンタスティック誌
"The Bait" :1973年、ウィスパーズ誌
"Under the Thumbs of the Gods" :1975年、ファンタスティック誌
"Trapped in the Sea of Stars" :1975年、The Second Book of Fritz Leiber
"The Frost Monstreme" :1976年、リン・カーター編 Flashing Swords! #3
Rime Isle :1977年、コスモスSF&F誌
The Knight and Knave of Swords :短編集、1988年
"Sea Magic" :1977年、ドラゴン誌
"The Mer She" :1983年、Heroes and Horrors
The Curse of the Smalls and the Stars :1983年、Heroic Visions
The Mouser Goes Below :1988年、書き下ろし:一部 "The Mouser Goes Below"(1987年、ウィスパーズ誌)および "Slack Lankhmar Afternoon Featuring Hisvet"(1988年、 ベス・ミーチャム編 Terry’s Universe)として初出
また、ロビン・ウェイン・ベイリーがシリーズの続編を書いている。